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「ナチュラルガーデンが好き。―love natural garden」
JUGEMテーマ:ガーデニング


『ナチュラルガーデニング』と同じシリーズかな、と見紛うくらい、内容が似ている。
『ナチュラルガーデニング』は学研だが、こちらは、主婦と生活社から出ている。

わたしは、ベランダに置かれた大小さまざまな鉢植えを見るのが、震えるほど好きなので、ずっと見ていても飽きない。

鉢植えは、ある程度の数をまとめて置くと、見栄えがするようだ。
そのとき、高低差をつけるのがコツらしい。

乾燥する日向に置くのに適した植物、日陰でも育つ丈夫な植物などが紹介されてい、参考になる。
ベランダばかりでなく、お庭のガーデニングの実例やヒントも掲載されている。
* 12:00 * comments(0) * trackbacks(0) *
「ナチュラルガーデニング」
JUGEMテーマ:ガーデニング


現在vol.6まで出ているようだ。
ぜんたいに、カントリーテイストである。
シンプルモダンにすっきりし過ぎず、ほどほどに自然なガーデンニグを望む人におすすめ。
ベランダガーデニングの実例をたくさん見ることができる。
みなさん、上手に飾ってらっしゃる。参考になります。

我が家の庭にも、眼の保養となる緑を置きたく、今春こそ、と、思い、このところ、花木店を見て回っている。
若葉の黄緑がきれいだし、盛りの花たちが香っている。


『ナチュラルガーデニング』を捲りながら、

「アイビーをハンギングバスケットにして、地面には、斑入りの明るい葉を持つ植物を、鉢植えで置きたいなあ」

などと、夢をふくらませている。


我が家の小さめの庭にどう植物を置けばいいか、ビジョンを与えてくれる良書である。

* 19:03 * comments(0) * trackbacks(0) *
「愛のアランフェス」 槇村さとる
アランフェス協奏曲――
スペインの盲目の作曲家ロドリーゴが
19世紀のアランフェス地方によせたこの曲の世界を
氷上に描き出すことがわたしの夢だった


このプロローグで幕を開ける「愛のアランフェス」は、昭和53年から55年にかけ、別冊マーガレットに掲載された。
フィギュアスケートを軸にし、そこに絡まる男女の愛、家族の愛、師弟の愛を描いた一大メロドラマ。
最近では、本田武史くんが「アランフェス協奏曲」で滑っていた。
哀愁を漂わせながらも情熱的な旋律が、冷たい氷の上に、静かな焔を燃やす曲である。

「フィギアスケート日ソ対抗・エキシビジョン大会」に飛び入りした無名の少女が、「チゴイネルワイゼン」で演技し、難易度の高い(当時)トリプル(三回転ジャンプ)を決め、観衆はじめ、関係者をも驚愕させる。
こっそり会場に来ていた黒川 貢は、少女のスケーティングを目にし、強い衝撃を受け、帰路を急ぐ少女を追いかける。黒川は、練習中に怪我をし、同時に怪我した女性スケーターが選手生命を断たれたことを苦にし、いま一度氷の上に立てないでいた――。

これが黒川 貢と森山亜季美の出逢い。
ソロスケーターである二人が、シングルを捨て選んだペアの道は、だが、厳しくも険しいものだった。
愛し合いながらも、ペアとして高みを目指すゆえに、傷ついてしまう・・・・・・。トップスケーターとしての二人の出逢い、愛、別離、そして再会までの軌跡は、単にスケーティングに留まらず、互いに一人の人間として確固とした足で地に立てるまでの、人生の軌跡。

この二人を芯に、友人や家族たちの物語も語られる。「愛のアランフェス」は、一種の群像劇ともいえる。

今回読み直して泣いてしまったのは、黒川の親友、筒美 一(はじめ)が、生き別れになった母と、フランスで再会する場面。
フランス人である母は、父の死後、姑に嫌われ、遂には一を姑に奪われてしまい、今はフランスで再婚し、小さな娘がいる。フィギュアスケートの大会でフランスを訪れた一は、母と再婚相手との幸せな家庭を壊したくなく、顔を合わせても名乗り出ることができない。けれど、一日たりとも一を忘れたことのない母は、一の出場する大会を見に、会場にやって来る・・・・・・。

もう一つ、ジュニア時代、優秀な成績をおさめ、今はアメリカ留学中のはずの柴 鷺夫(ときお)が、突然日本に帰国したくだりも、ぼろぼろ泣いた。
「筋膜性腰痛症」という、スケーター病を発症し、息子同然に自分に目をかけてくれたスターバック・コーチに合わせる顔がないと、黙って帰国した柴は、自身の病気のことを誰にも言えず、独りで闘っていた。けれど、亜季美の父、世界的スケーターだった森山優一が、柴の滑りから病気を見抜き、彼に合ったプログラムを組んでくれる。「医者も匙を投げたのに」と、泣く柴に、森山は「筋膜性腰痛症を克服した選手なら何人もいる。自暴自棄になるな。お前自身が匙を投げていないなら」と言葉をかける。
もう涙ボロボロ。

「アスリートが引退を決心するときには、二つの場合がある。一つは、体力の限界が来たとき。もう一つは、闘志を失ったとき。」(ドラマ『海猿』より勝田船長の言葉)

千代の富士が前者、中田英寿が後者(とわたしには思える)、といったところだろうか。
頑なだった心を開いた柴は、利き脚の左脚に爆弾を抱えながらも、周囲の協力を得て、第一線にカムバックする。

黒川 貢と森山亜季美のペアの物語という軸はぶれることないが、ほかにも、二人に関わるさまざまな傍系のドラマがある。
華族の家系の女性と駆けおち同然で北海道に家庭を築いた森山優一は、その最愛の妻(亜季美の母親)を亡くす。
森山の友人のスケーター、今は日本スケート協会会長の沢田もまた、森山の妻となった女性を愛し、独身でいた。彼も、日本初のフィギュアスケート世界大会開催のため奔走のさなか、急死してしまう。
貝谷真紀子は、惹かれ合う黒川と亜季美に気づき、胸に秘めていた黒川への想いに蓋をし、筒美の愛を受け容れる。
黒川と亜季美のコーチになるためソ連から帰国した嵯峨島は、自身もペアのさきがけだったが、妻でもあったパートナーの妊娠初期に無理して氷の上に立ったため、彼女を流産で亡くした過去があった。等々……

プロに転向しようとしていた筒美 一は、説得され、婚約者でもある貝谷真紀子と日本でのアイスダンスペアの牽引力となる決心をする。(後日の二人は、同じく槇村さとるの『白のファルーカ』にも登場する。)
黒川 貢と森山亜季美は、沢田会長の遺志を継いだ森山優一によって開催に漕ぎつけた日本初のフィギュア世界大会で、プログラム用にアレンジされた「アランフェス協奏曲」にのせ、二人の出逢い、愛、別離、再会の軌跡を氷上に描き、フリーでは最高の得点を叩き出すであろうところで、物語は終わっている。

村主章枝さん、荒川静香さん、安藤ミキティ、真央ちゃん、等々、今日、日本の女子フィギュアシングルは賑やかである。男子も、織田信成くんの躍進目ざましい。しかし、ペアやアイスダンスは、やっている人はいるけれど、世界大会で上位に食い込むことはない。
いつか、「愛のアランフェス」のように、日本のペアやアイスダンスのスケーターが脚光を浴びる日が来てほしい。

愛のアランフェス (1)
愛のアランフェス (1)
槇村 さとる
* 11:55 * comments(0) * trackbacks(0) *
「マイケル・J.フォックス  愛と栄光の小さな巨人(リトル・ビッグスター)」
「アクターズスタジオ インタビュー」を見て、久しぶりに本棚から出し、開いてみた。

「1987年5月15日第1刷発行」で、わたしの持っているのは、1992年9月10日付の第6刷。
1976年のカナダのテレビシリーズでのデビューから、1990年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART掘廚泙任虜酩焚鮴發函∨富な写真が収められている。
最初にパーキンソン病の症状の出たのが1990年、病名の判明したのが1991年だというから、その直前までの彼の記録、ということになる。もっとも、彼は病気を長く公表しなかったので、わたしは何も知らずに、彼の出演作を見て、笑い、楽しんでいた。

やわらかそうな金髪に青い瞳。白人らしい外見を持っている彼の、いちばんの特徴は、小柄であること。
学校中で騒がれるほどのアイスホッケー選手だったのに、プロになるのを諦めたのは、「三つ年下の妹と双子に間違われた」ほど小さな体のせいらしい。
マイケルがいくら器用ですばしこくても、”氷上の格闘技”といわれるアイスホッケーのむくつけき選手にタックルされたら、はね飛ばされてしまいそう。

プロスポーツ選手としては致命的な、また、俳優としても不利だったかもしれない”小柄であること”が、しかし、マイケルの場合、この上ない長所になり得ている。
小動物みたいに敏捷で、バスケットボールがうまく(『ティーンウルフ』)、ロレインをメロメロにさせるほどスケボーをかっこよく乗りこなし(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』)、ギターも弾きこなす(『愛と栄光への日々』)彼を見るとき、あの小さな体に、どれだけのエネルギーが詰まっているのだろうと、眩しかった。

彼が自らの病気を、どうにも隠し切れなくなって公表したとき、誰もが驚いた。パーキンソンは神経系の病気で、身体に震えの起きる症例を、みな知っていたからだ。テレビで見るマイケルには、ちっともそんな兆候は見られなかった。
観客を前にして撮影するシチュエイションコメディ「スピン・シティ」では、体の震えを抑える薬を服用しながら、シーズンとシーズンの間には、頭蓋骨に穴を開けてする手術を二度も受けての番組出演だったことを、雑誌やテレビのインタビューで、彼は語った。

その後、彼は、パーキンソン病治療のための財団を設立した。

葛藤はいろいろあったろうが、病気の発症について、そして今後の治療と俳優としてのキャリアについて語るマイケルは、映画の中で彼の演じた数々のキャラクターがそうであったように、楽天的で、前向きだった。
有名な俳優である自身の言動が、社会と、ほかのパーキンソン病患者に与える影響を、常に考慮しながら、悲観的でも投げやりでもなく、淡々と自身の難病を語る彼は、とても聡明で、強い。
映画の中の彼の、不思議に人をひきつける魅力の秘密に、触れた気がする。

「アクターズスタジオ インタビュー」は、2005年のものだった。
マイケルは四十四歳になっていたはずだが、童顔は健在で、相変わらず若く見えた。



マイケル・J.フォックス―愛と栄光の小さな巨人(リトル・ビッグスター)
* 18:53 * comments(7) * trackbacks(0) *
「A Wonderful Life: The Films and Career of James Stewart 」
木の塀にちょこんと腰かけ、どこか遠くへ目を遣っている。
大きな手の中にすっぽりおさまっているカメラ・・・何を撮ったのだろう。

正真正銘のアメカジに身を包み、自然な表情で写っている表紙の「青年・ジェームズ・スチュワート」、ちょっといいではないか。

内容は、彼の生い立ちと、全出演作のあらすじ・解説が、写真つきで、わかりやすくまとめられている。

1951年の「ハーヴェイ」、1954年の「グレン・ミラー物語」、1958年の「めまい」、1959年の「ウィンチェスター銃'73」、1962年の「リバティ・バランスを射った男」 等々、四十歳をすぎて尚、数え切れないほどの名作に恵まれたジェームズ・スチュワートだが、やはり、初期にあたる1930年代に出演した、「我が家の楽園」、「スミス都へ行く」、「街角」などのときが、とりわけ輝いている。



A Wonderful Life: The Films and Career of James Stewart
A Wonderful Life: The Films and Career of James Stewart
Tony Thomas
* 16:00 * comments(0) * trackbacks(0) *
That's 少女漫画----「花の美女姫」
名香智子氏の漫画、特に「花の美女姫」には、強烈な印象がある。

本のかたちをしたものなら何でも好きだったわたしに、母の友人が、読み終えた月刊少女漫画雑誌を、よくくれた。記憶しているのは、
「マーガレット」
「ちゃお」
「ぶーけ」
「プリンセス」
など。
はっきりした記憶はないが、「別冊少女コミック」もあったのだろう。氏家尊猛流(うじいえソンモール)こと美女丸と、氏家華猛流(うじいえカーモール)こと姫丸の、長髪ブロンド双子を、鮮やかに思い出せる。

美女姫は、フランス人と日本人のクオーター(祖父は伯爵)。家族や友人思いで、美しいものが好き。美少年をとりまきに欲しがる。
絹の学生服の袖口から、レースのブラウスをのぞかせ、瞳はキラキラ、常に花をしょって現われる。
恵まれた容姿を持つ二人だが、その恋は成就しない。大切な人が、ほかの男の腕の中へ飛び込むのを、幸せを願いつつ見送る役回り。

特に美女丸ソンモールの恋は切ない。
いとこの群竹鹿の子を愛していたが、鹿の子は転校生の加賀小太郎に恋する。
また、パリへ戻ったあと、パーティで、鹿の子にそっくりなオロールに出逢うが、オロールは、空想の中の高貴な騎士さながらのソンモールに憧れているだけだった。
オロールが空想の世界に遊ぶようになったのは、ジョスランという男の子にいじめられてからだったが、実はジョスランは、オロールを好きだからこそで、彼女の性格を変えてしまったのを気に病んでいたのだった。
結局オロールは、自身でも気づかぬうちに、ジョスランに恋していた。それを知ったソンモールは、そっと身をひく。

人を愛する切ない物語が基調になり、日本の(どこにあるのかわからないが)伝統ありそうな家や学校、フランスなら、リュクサンブール、チュイルリー、ルーブル、ポン・ヌフ、セーヌの岸などのイメージに彩られた、麗しき少女漫画の代表作。

花の美女姫 (1)
花の美女姫 (1)
名香 智子
* 13:26 * comments(0) * trackbacks(0) *
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